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クイズ王・能勢一幸が語る 埼玉県の魅力をクイズで発信(全4回)
第1回 『立っている位置が少し違うだけで、運命は変わる』


 

『ビジネスに効くクイズ』は、毎回、趣味のクイズを仕事に活かして多彩な分野で活躍されている方をお招きし、「仕事とクイズの関わり」について語っていただくトーク企画。ビジネスや生き方の参考になる、人生に役立つヒントが満載です!このページでは、実際にRBL CAFEで催されたイベントの模様をお伝えしていきます。
『ビジネスに効くクイズ』第4回目は、『アメリカ横断ウルトラクイズ』第15代クイズ王に輝いた能勢一幸さんをお招きしました。
現在、能勢さんは埼玉県職員としての職務に携わる傍ら、ご当地クイズ大会の先駆けでもある『埼玉クイズ王決定戦』の問題監修・出題など、埼玉に関わる様々な活動に取り組まれています。小学生時代からクイズに興味を持ち、今も公私共にクイズと関わられている能勢さんにとって、クイズとはまさにライフワークそのもの。そんな能勢さんの視点を通して見たクイズの魅力、そして地元である埼玉県の振興に一役買うクイズの可能性について、お話を伺っていきたいと思います。

── まずは、能勢さんがクイズに興味を持たれたきっかけについて教えてください。

私が小学5年生だった頃に『第3回アメリカ横断ウルトラクイズ』が放送されていたんです。それを観た時に、アメリカ大陸を横断するスケールの大きさとか、当時の自分にとっては難問だったクイズにどんどん答えていく大人たちのカッコよさとか、そういったものに惹かれて毎週ずっと観ていました。

番組が終わった後、次もやらないかなと思って毎週ずっと観続けていたんですが、第4回目が始まる頃には1年が経っていて(笑)そこで、この番組は1年に1回だけの企画なのだと理解しました。でもそれくらい夢中になっていたので、それから毎年ずっとのめり込んで観ていましたね。

── 能勢さんが中高生だった頃は、クイズとどう関わっていたのですか?

その頃はクイズ仲間もいなかったですし、自分の趣味がクイズだと伝えても、なかなか周りには理解されにくい時代だったんですよ。

例えば、クイズが趣味だと言うと「じゃあ問題出してあげるよ。電線に雀がいました。鉄砲で撃つと1羽になりました~」とか返されたりして。それは、なぞなぞなんだけどなぁって思っていました(笑)

その一方で、当時は毎日のようにクイズ番組が放送されていましたから、それを毎回録音して、わからない問題をノートに書く。そういったことをしながら知識を広げていました。あと、ウルトラクイズの過去問題集も販売されていたので、そういったクイズ本を購入して片っ端から勉強していましたね。

── クイズ番組はご家族で観られていたんですか?

そうですね、クイズ番組を観ることは父親の影響でもあったんです。父親もけっこう答えられる人なので、2人で競うのもけっこう楽しかったですね。

私の場合、一人で黙々とクイズをやっていたわけではなくて友人達とも楽しんでいました。特に中学時代は田んぼの中を20分くらい歩くような通学路だったんです。だから、登下校中は一緒に通うメンバーに私が問題を出して、ボタン代わりに手をパンと叩いて答えるシステムの“早押しクイズ”をずっとやっていました(笑)そういった遊びを通して、それが自分のクイズの勉強にもつながったんじゃないかなと思います。

── そんな中高生時代を経て、能勢さんは1987年に一橋大学に入学されます。そこで念願のクイズ研究会に入部されたんですよね。

はい、そうです。大学の合格発表を見に行った際に、自分の受験番号を見つけたことよりも、サークル紹介でクイズ研究会があった時の方が印象に残っているくらい、クイズ研究会の存在は大きなものでしたね。

ただ、実際に入部してからは、真剣にクイズをやっている人があまり居なかったので、ほとんど麻雀に明け暮れて1日が終わってしまうようなこともありました。でも2年生以降になると非常に優秀な後輩たちが入ってきてくれて、その後輩たちと切磋琢磨しながらクイズに打ち込んでいました。大学の勉強よりも、ずっとクイズの勉強をしていた時代でしたね。

── その当時、クイズ分野での目標はありましたか?

早く『アメリカ横断ウルトラクイズ』に出場したいという思いは強かったです。その一方で、他にもいろいろなクイズ番組があったので、そういった番組にも片っ端から出てみたいという気持ちもありました。

私が中学生の頃『スーパーダイスQ』という、土居まさるさんが司会をされていたお昼の番組がありました。その中学生大会の予選に行ったことがあって、なんとか筆記クイズは通過したんです。でも、その後の面接で失敗しました。なんというか、バカ正直で真面目くさったやり取りばかりしてしまい、自分でもこれはダメだろうなぁと思っていたら、案の定予選落ちだったんですね。

クイズ番組というのは、クイズの実力が一定以上なければ本番で回答できないので、予選の筆記クイズで、ある程度の人を振り落とすんです。それと同時に、キャラクター性というものが無いと、なかなか出場に結びつかないのだと実感した出来事でした。私の場合は、そこで自分を変えないといけないと感じました。その課題をクリアしないと、将来もしウルトラクイズに出場して残った時に、福留さんとの楽しいやり取りは出来ないだろうと思って。

そういった自分のアピールポイントについては、大学生が就活のタイミングなどで考えることだと思うのですが、私はクイズのおかげで中学時代に気づくことができました。

── そういった面でもクイズから受ける影響は大きかったんですね。さて、今度は大学卒業後のお話を伺います。能勢さんは、1991年に埼玉県庁に入庁され、その後『第15回アメリカ横断ウルトラクイズ』に出場。見事優勝されました。この勝因は何だと思われますか?

ウルトラクイズは、約2万人が東京ドームに集まって、100人くらいしか残れない。つまり競争率は約200倍です。しかも1年に1回しかないから、その100人に残れるのは、200年に1回あるかないかなんですよね。単純な確率で考えると。だからこそ、そんなわずかな確率でも実現するんだという強い気持ちを保ち、それに向けて努力をしてきたということは、大きかったと思います。

また、大学時代はウルトラクイズに勝ち残った時のことをイメージして、どんなクイズ形式でも対応できるように仲間と対策をしていました。

例えば、ものすごく疲れている時に、本を読んだり勉強をするのはやりたくないですよね。でもそんな状況下でクイズをやったら、自分はどの問題ができてどの問題が出来ないんだろう、という風にポジティブに捉えていました。ウルトラクイズは、いついかなる時もクイズが発生するかわからないので、そんな対策も優勝につながった要因のひとつかも知れませんね。

── 優勝するためには、そういった日々の努力に加えて運も大切ですよね。

はい。よく「人生が2度あれば」と言いますけれども、私の場合、それまでの人生で何かちょっとでも違うことが起きていたら、東京ドームの○×クイズで勝ち残れなかったんじゃないかなと思います。

同じ東京ドームにいても、自分が立っている位置が少し違うだけで運命って変わってくると思うんです。後ろから「この問題は絶対○だよ、○!」という声が聞こえた時に、果たして自分は「×」を選べるのか。かといって、○を選んで不正解だったとしても、その声の主は悪くないし責めることもできないじゃないですか。最終的には自分が決断を下さなければいけないのだから、そういったことを考えると、これまで出会った人達とか偶然の出来事が、優勝に導いてくれたんじゃないかなと思います。

── ウルトラクイズで優勝したことで、能勢さんの人生も大きく変化されましたか?

確かにこれを機に一気に変わったような気がします。道を歩いていてよく声をかけられるようになったりとか、普通の社会人ではなかなか経験できないようなことを、いくつか体験したことはありました。時には握手を求められることもあったりしたんですけど、私の手がきれいか、汚いかという問題は、相手にとってはどうでもいいことなんだという境地に達することはできましたね(笑)

特に印象に残っているのが、ぎゅうぎゅう詰めの満員電車の中で、私がドアにへばりつきながらクイズ本を読んでいたら、「次も狙っているんですか?」と耳元で声がしたんです。振り返ると酔っ払ったサラリーマンがいて「頑張ってください」と応援されました(笑)

あとは、よくお手紙をいただきましたね。番組のご好意で転送してくれるんです。当時、友人に数えてもらったところ、だいたい6000通くらい届きました。そのほとんどが「優勝おめでとうございます!」とか「次も頑張ってください!」といった励ましの内容でしたね。

── ウルトラクイズの後も、いろいろなクイズ番組にご出演されましたよね。

そうですね。クイズ王になったことで、様々なテレビ局からお声がけをいただいて、番組に出演することもありました。芸能人の方々と一緒に回答したり、解説者という立場で出たりもしました。

いろいろなクイズ番組に出させていただくことで、テレビ局は今どんなコメントを求めているのかなと、先回りして考える“いやらしいテクニック”もずいぶんと身につきました(笑)カメラの前でクイズ王を演じさせると、けっこう良い仕事をしたんじゃないかなと思います(笑)

── 能勢さんは、当時20代前半くらいだったと思いますが、その若さでクイズ王という看板を背負う覚悟はすごいですね!

いえいえ。その当時の私よりも、今人気の東大王・伊沢拓司さんの方がもっと大変だと思います。勝利を期待されて、毎週のようにクイズ番組に出られているので。私の場合は、私よりも上の世代でそういった番組に頻繁に出ている方がいなかったので、私に声がかかったのかなと。

ただ、そんなに良い成績を残せなかった番組もあったので、もうちょっと勉強すれば良かったなと後悔することもあります。『オールスター激突クイズ 当たってくだけろ!』に1回だけお声がけいただいたんですけど、やっぱり独特な雰囲気だと、なかなか答えることができないんですよね。

── 様々なクイズ番組に出演されていた能勢さんは、いわば今の若いクイズ王達の先駆け的な存在ですね。

いやいや、今は私の時よりもレベルが違います(笑)だから、伊沢さんが注目され始めた時、実力と世間的に顔と名前が一致する「究極のクイズ王」が、ついに現れたかという気がしました。そういう人が現れたのはうれしいことですし、後輩たちの活躍にも期待しています!

── 社会人になられた後も、積極的にクイズ活動に取り組まれていた能勢さんですが、お仕事との両立はどのようにされていたんですか?

うまく両立できているかどうかということを、いつも自問自答しながら25年以上が経とうとしています(笑)もっと仕事に時間を充てるべきだったのかなと思うこともあれば、もう少しクイズの勉強をして良い成績を狙いたかったという思いもあったりして……、難しいですね。

ただ、クイズとは別分野の仕事に就いているので、「クイズ=趣味」と割り切れるのは良かったと思います。クイズ作家として活躍されている方々は非常に華やかですが、その一方で、なかなか大変だなというお話も伺います。そういった意味では、ウルトラクイズに参加してもクビにならなかった今の職場に感謝をしつつ、趣味としてクイズを楽しめるという、このスタンスに満足しています。
>>> 次回は、メインテーマである「埼玉県の魅力をクイズで発信」することについてお話を伺っていきます。能勢さんが関わられている「埼玉クイズ王決定戦」の成功の秘訣や裏話など、貴重なエピソードが満載です。

取材協力:栗林拓司
掲載日時:2019/03/21 11:00
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