連載企画

special interview

連載企画 > ビジネスに効くクイズ 第1回

構成作家・矢野了平が語るテレビとクイズ(全4回)
第1回 『構成作家を志したことは1度もなかった』


 

『ビジネスに効くクイズ』は、毎回、趣味のクイズを仕事に活かして多彩な分野で活躍されている方をお招きし、「仕事とクイズの関わり」について語っていただくトーク企画。ビジネスや生き方の参考になる、人生に役立つヒントが満載です!このページでは、実際にRBL CAFEで催されたイベントの模様をお伝えしていきます。

第1回目のゲストは、構成作家として多数のテレビ番組を手がける矢野了平さん。学生時代のエピソードから第一線で活躍する現在に至るまで、様々なお話をお伺いしました。今回は構成作家になられる前の矢野さんにフォーカスします!

──クイズを始めた時期と、そのきっかけを教えてください。

我が家ではクイズ番組をよく観ていたので、子供の頃からクイズは身近な存在でした。なので、クイズ研究会に入る前からラジオのクイズコーナーに応募したり、小学校時代からクイズ大会に出たりもしていたので、クイズを始めたのが具体的にいつ頃なのかはわからないです。ただ、クイズに強くなるためにめちゃくちゃ勉強をし始めたのは中学生の時です。

中1くらいの頃かな。当時ニッポン放送でやっていた『伊集院光のOh!デカナイト』というラジオの「ベースボールクイズ」というコーナーで、クイズ賞金が4万5千円だったんですよ!それがもう喉から手が出るほど欲しくって(笑)念願叶ってハガキが選ばれ出場したんですが、3問連続で不正解でした……。でも、クイズに負けたことよりもお金が手に入らなかったことが悔しくて。

それで「このままじゃダメだ!」ということで、真剣にクイズを覚えようと本格的に勉強を始めました。『百万円クイズハンター』などのクイズ番組を毎日録画してわからなかった問題をメモするとか、そういうことをしていました。

──その後、高校時代にはクイズ研究会を立ち上げたんですよね。

入学したのが春日部高校という東武野田線の沿線にある田舎の高校だったんです。でもクイズ研究会が無いことは入学前から知っていたので、これはもう諦めるしかないなと(笑)そのかわりに新聞部に入りました。学校新聞が朝日新聞社賞を受賞したりして、けっこうエリートな新聞部だったんですけど、実際は“たほいや”や麻雀ばっかりしていました。

その年の秋に別の高校の文化祭に行ったら、クイズ研究会がイベントを催しているわけですよ。早押しボードクイズなんかをやっていて、そこで僕はバカ勝ちしたんです。その時に「これは楽しいな。うちの高校でもクイズ研究会を作りたいな」って思って。それで動き出したのが高校2年くらいかな。

幸いにも新聞部だったから、印刷機とか使ってよかったんですよ。それでメンバー募集のチラシを作って、全クラスに20枚ずつ置いていったんです。そしたらチラシを見てやって来た生徒が何人かいて、結局7人の立ち上げメンバーが集まりました。せっかく集まったからには真剣にクイズをやろうぜ!ってことで、クイズ研究会として活動を始めたって感じですね。

──学校側から干渉があったりしなかったんですか?

もちろん認可は下りてないです、勝手にやってるだけ(笑)でも文化祭で出し物をやるってなった時に、かかったお金は出してくれって学校に言って、領収書を持って行ったりはしました(笑)

──問題を入手したり、早押し機などの機材はどうやって調達したんですか?

その頃には他の大学のクイズ研究会だったり、社会人サークルとかに顔を出していたので、問題集などはそういう所で手に入れていました。そこで知り合った高畠さんという早押し機の職人さんに手紙を出して、「高畠式早押し機」を作ってもらったこともありました。それが当時で4万5千円だったから、ちょうどベースボールクイズで正解すればゲットできるんですよ!ラジオでの賞金稼ぎがこの話に繋がるんですけど(笑)

──この行動力が構成作家として活躍される土台になっているのでしょうね。構成作家を志したのは大学時代に入られてからですか?

いえ、実は構成作家を志したことは一度もなくて……。大学のクイズ研究会に入ると、クイズ問題を作るアルバイトの話がけっこうあったりするんです。その中で『高校生クイズ』をサポートするバイトもあって。それこそ問題作りをはじめ、西武球場でロープを持って整備したり、負けた高校生を慰める役だったり色々していましたね。

その時にプロデューサーが「お前、大学卒業したらどうするんだ?」って声をかけてくれて。それが大学5年目の6月でした。僕は本当にのんきで、就職とか全然考えていなかったんですよ。当時バイトをしていた居酒屋の店長が「そのままウチで就職しちゃえば」って言ってくれていたので、その予定だったんです。でも、「就職が決まっていなかったら、作家にならないか」というプロデューサーの言葉を受けて、やってみようかなと思ったんです。結局、そのまま事務所にお世話になってこの業界に今もいます。

──次が「構成作家になるために、どんな努力をしましたか?」という質問だったんですけど、これはパスですね(笑)

ハハハ(笑)その後、事務所の社長と会って面談をしたんです。その場所が新宿三丁目だったんですが、帰りに紀伊國屋書店に寄りまして『構成作家になるために』という本を購入しました。俺は構成作家になるんだから、この本を買わねばって(笑)なんとなく仕事内容はイメージしていたんですが、企画書を書いたり、台本を書いたり、ナレーションを書いたりする仕事なんだっていうのをそこで初めて認識をして。構成作家になるための努力は入社後でしたね。

──クイズでの経験があるので、わりとスムーズに業務に取り組めたのではないですか?

はい、クイズを一生懸命やってきて、それなりに頑張ってきたので、問題作りなど得意な分野から入れるだろうと思っていたんです。でも事務所に入ったら社長から「『高校生クイズ』以外のクイズ関連の仕事は3年間絶対にやるな」と言われたんです。

そういえば、事務所に入ることが決まった年の年末に、社長に言わずに『クイズ$ミリオネア』に出演したことがありました。それを社長がたまたま観ていて「ああいうのダメだよ。お前は裏方の仕事になるんだから、表に出たり、表をかじるようなことをしちゃダメ」って。

それから3年間、僕はクイズから隔離されました。その間に「台本とは、企画書とは、ナレーションとは」みたいな、構成作家の基礎をしっかり勉強しました。いま思うと、この3年間で構成作家になるための努力というものを積んだように思います。

>>>次回は、構成作家としてのスタートを切った、矢野さんのその後の活躍に迫ります。

取材協力:栗林拓司
掲載日時:2019/01/21 11:00
連載企画 一覧へ戻る